葬式ごっこ 福岡葬式 大阪
主人の叔父の義母が亡くなり(叔父がもしゅ)、お通夜とおそうしきに行くことになりました。おじとは近くに住んでいることもあり、お世話になっています。
場所は関東です。
おつやはわたしひとり。おそうしきは主人とわたしの二人です。
(りょうじつともにぎぼといっしょに行きますがわたしは29としのじょせいです。
せんじついっしょにすんでいたそぼがなくなりました。来週祖母の35にちのほうようがあります。
そこでおしえていただきたいことがあります。
おそうしきの時に葬儀会社さんが位牌を用意してくださいました。だいしょう二つのいはいがいえにあります。
いまはしょうそうぎ・法要にまったく無知でこまってます。
せんじつ、ひとり身のあねが亡くなりしょじじょう(そのないのひとつはせいめいほけん・ちょきんなしなどのそうぎ費用が全く無いこともあって)によりきょうだいかぞくの4にんと友人2にんだけでかぞく葬としてひっそりと見送りました。本人はむしゅうきょうだったので、おてら先週、友達のお兄様がなくなりました。かぞくそうというかたちで故人をみおくるそうです。
こういうばあい…おこうでんなどどうすればよいのでしょうか?おこうでんいがいのものをおそなえするほうが良いのでしょうか?おせんこうだけあげさせてもらいにうかがうとか?それとも、何もつややそうしきって、必ずしなければいけないのでしょうか?人がしんだとき、そのいぞくはそうしきかんけいで大忙しだと聞きます。
だったら、そんなたいへんなおもいをしてまでつややそうしきをするひつようはないのでは?とおもうのです。
けっこんする時しきをあげないでにゅうせきだけですますように、 せんじつ一人暮らしのちちがきゅうししました。そうぎは直そうで、まだ戒名をつけてもらっていません。かいみょうをつけないことも検討していますが、そのばあい、位牌は無しになるのでしょうか。 うちは女きょうだいばかりなので、しょうじきいはいがあると、かえって面倒なことになる
位牌
田舎のおはかに白木位牌が雨ざらしになっています。
(お寺のおはかではありません。)おはかを守っているちょうけいが言うには、本位ぱいにたましい入れをしたときに、ご住職さまから「おはかで土に返してあげる様にいわれた。」とのことです。
先日、三回きを終えましたが、土のうえでこまっています、りょうしんのいはいの行きばしょに・・・・。わたしたち二人姉妹はそれぞれちょうなん宅に嫁いでいて、いままで位牌はちちのおとうとさん(後継ぎ)のいえにありました・・・が、せんじつ叔父から『おやのいはいは子供が持つものだから、ちかぢか位牌はもって行け』といわれ、突然の言葉に困先日 しゅじんのじっかからしゅじんのお父様のお位牌を頂きましたとつぜんのことでわたしもびっくりしてしまいどこにおいていいやら悩んでいますといいますのもうちにはおぶつだんがありませんでも位牌は一つだけありますそれはいっさくねんになくなったいぬのものです位わが家は浄土真宗ほんがんじ派(西)です。
webでいろいろ調べてみると、浄土真宗では位牌を仏壇におかないさまですが、わが家のぶつだんにはなぜかいはいがあります。
このようなときはどの様にしたら良いのでしょうか?お世話になります。
もうすぐ父のしじゅうくにちです。
じっかの仏壇には、そふそぼのぬりいはい1からだ、母がひだりがわに彫られてた塗いはい1体とは別に、この仏壇をあたらしくした2ねんまえにつくられたくりだしいはい(先祖だいだい、そふ、そぼ、母けい4枚)があります。
つまり、祖父、いはいというものは 日本だけの物でしょうか?また いつ頃から あるのでしょう?「かとくといっしょに 位牌をゆずる」とか(I"火事になったら いはいだけはもって逃げる」などと言うことをききますが、位牌が かとく権のしょうちょう?や 魂のしょうちょう?(というようクルマをかおうかとおもっている。いまのところは、かぞくのくるまをひがわりで借り手のっているのだけれど、さすがにふべんをかんじることがおおい。このところがいしゅつの機会が多いからなおさらだ。と言っても、どんなクルマを買うべきなのか悩みは尽きない。わたしは「クルマはただのいどうしゅだんだ」なんてやぼなことをいう人間ではない。かと言って何か哲学めいたものがあるわけでもない。こういうときどうしたらいいのだろう。とりあえずほんやらネットやらで情報収集でもしよう。それから頭のなかでいろんなそうぞうりょくをはたらかせて、それをかなえてくれそうなクルマを探すことにする≠ルんどうにお参りしたのちは、ほんどう裏にあるというさなだいえの供養塔をめざします。
本堂のうらて、きでうっそうとしたあたりに真田家くようとうがありました。■まつしろ藩さなだいえのこ塔江戸時代に善光寺のそとごしょくをつとめたまつしろ藩のはんしゅ、真田いえの供養とうです。
松代藩はぜんこうじをほごするとともにあつしく信仰していました。境内とうぶには重しんなどらのくよう等もげんぞんしています。
まつしろとぜんこうじとのご縁は今も深く、七年に一度のぜんこうじごかいちょうのおりには、本堂まえに建つ大えこうはしらのようざいを松代町が毎回きしんしています。
(案内板より)この供養塔の詳しいことは分からないのですが、べつのくようとうはじゅうしんのものらしいので、こちらは真田いえの方のくよう塔ではないかと思われます。
ぜんこうじかんけいのHPによりますと「かんえい(16241643ねん)・ひろふみ(16611672ねん)ねんかんの供養とう」とありますので、真田いえが松代はん主となった直後あたりから50年くらいのまのものですね。ここの供養塔は、だいしょう6基。この後ろにもバラバラになった供養塔らしきものがありましたので、ほんらいはもっとおおかったものとおもわれます。
もう1箇所あるさなだいえくようとうにいくとちゅうには、とくがわけのくよう塔がありました。しょうの頼子『だいにっほん、ろりりべしんでけろく』を読んでいます。
このだいめいはついにロリコンネオリベ言説いがいになくなった「にっほんというじごくよ、しんでけ〜」ということだろう。じごくを描出した。そこへ被ぞう物(とうじょうじんぶつたちですね)送りこんできたさくしゃ金毘らはある認識にたっしたせいで救済をけついする。そして地獄からかれらをきゅうさいしおわったのちがいっしょうの始まりなのだ。きゅうさいは物語的ハッピーエンドとはまったくちがって、それはやるせなく暗くすわりしょんべんてきにいごこちのわるいものだったという。ようしゃなくきりすてられたものがけっかてきにでたからだ、と。げんだいときり結ぶきんびらごんげんにはシナリオなどあるはずもなくでたとこしょうぶなので、そのせいで作中におくりだされたぶんしんしょうの頼子は狂ってしまう。そのてんエホバはとことんわかっていてあらかじめかいておいたシナリオで「ひとりこ」をよのきゅうさいにつかわしたとさくしゃはいっってる。1エホバというところでどくしゃワタシは…2にちくらいはビビっていました。でもにっぽんのかんとうからでたことのないワタシなのだ。エホバのシナリオ的なめせんが暮らしの隅々まで行きわたっていたわけではないところがよかった。しかし己を導くはっきりしたものがなかったのはわるかった。笙野よりこ『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』を読んでいます。
このだいめいはついにロリコンネオリベ言説いがいになくなった「にっほんというじごくよ、しんでけ〜」ということだろう。じごくを描出した。そこへひぞうもの(とうじょうじんぶつたちですね)送り込んで来たさくしゃ金びらはあるにんしきにたっしたせいできゅうさいをけついする。そしてじごくからかれらをきゅうさいしおわったのちが一章の始まりなのだ。救済は物語的ハッピーエンドとはまったく違って、それはやるせなくくらくすわりしょんべん的にいごこちのわるいものだったという。容赦なくきりすてられたものがけっかてきにでたからだ、と。げんだいときり結ぶきんび羅権現にはシナリオなどある筈もなくでたとこ勝負なので、そのせいで作中に送り出されたぶんしんしょう野頼子はくるってしまう。その点エホバはとことんわかっていてあらかじめかいておいたシナリオで「ひとりこ」をよのきゅうさいに遣わしたとさくしゃはいっってる。1エホバというところでどくしゃワタシは…2日くらいはビビっていました。でも日本のかんとうからでたことのないワタシなのだ。エホバのシナリオてきなめせんが暮らしのすみずみまで行き渡っていたわけではないところがよかった。しかし己をみちびくはっきりしたものがなかったのは悪かった。ぐずついたてんきも回復し、昨日はピーカンだったので、れきし探訪第二弾をけっこうしました!ともだちといっしょに、『しんせんくの旅in高幡不動』v(`∀´v)ここはこんどういさみ、土方歳三、おきたそう司らのいはいが奉ってあるお寺なんです。
正直、ばくまつはそんなにくわしくないんですよ。(ふつうの人よりはしってますが)せんごくじだいが一番好きなんでf^_^;友達がしん選組バカなので、それにじょうっかって行ってみたんです。
ちなみに、僕はりょうま派です(わらい)とかいいつつ、はおりをきたらもう新せん組のきぶん♪かたなをもったらけんごうの気分♪暴走族みたいな写真になっちゃいましたが(笑)新選組も…悪くない(*^_^*)久々に刀振りたいなぁ。。。ってしょうどうに駆られたので、これからさつじんのけいこにいってきます(^^なんだかんだで二ヶ月ぶりっす(*´艸`)このど、おばちゃんがICHIKOの戒名をかえるといいだした。「変える」「かえない」については、しょうじきどうでもいい。変えたかったら変えればいいんじゃね?って感じ。いまとなっては・・・というか、かいみょうがついただんかいで当のICHIKOのいけんなんぞきくわけにはいかんっつーか聞きたくても聞けない状況であるからしてw本人がどうおもうのかってのは、もはや誰にも分からないし。、ュ、繧ノたのんでもほんとうかどうかあやしいしwwwとなると、もうこれはこれからICHIKOを「ごせんぞさま」として守っていくたちばのいきてるものが考えてくことなわけで。ことの発端はICHIKOの戒名。ま、そりゃそうだわな色々な情報がまちがってたらごめんなさいよ。と、さきに謝っておく。そして、いちおうあたしは熱心なぶっきょうとでもなければ特定のしゅうきょうにのめり込んでるわけでも無いって事も先に言っておく。この先もそれは無いだろう。ぼだいてらをもつわけでもなく、いまのだんかいで天涯孤独の身でせんぞ代々の位牌やらぶつだんのめんどうをみる必要があるわけでもなく。